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韓氏意拳に出会って

IMG_3774.jpg


光岡先生の韓氏意拳に行く

風邪で体調が悪く、行くかどうか迷ったのだけれど

身体が動いたので行った

形ではなく、身体の内側を観て、身体と意、心のずれを感じながら
動いていく

自分の身体の動きを知る

今日も五体投地をやってみる

不思議と身体の流れ、力が変わる

右と左

右手と左手の流れの違い

それにも驚く

昔の人は自然に感覚としてそれがわかったのだ

古来からの人間の感覚の鋭さ

現代は便利にはなったけれど、

その自然に備わっていた感覚が失われていってる

頭の力が強くなっている

それに気づかされる


光岡先生の記事があった

出会いに感謝

この記事に載っている本 「荒天の武学」
とても面白かった

教育すると、人間は「弱く」なる! 各界から大注目の武術家・光岡英稔が明かす「強さ」のヒミツ

独占・最強インタビュー(1)
  

「最強」とは何か

文/尹雄大(ユン・ウンデ)

世の中には、ボクシングや総合格闘技、プロレス、空手に柔道とさまざまな格闘技や武道がある。それぞれの競技を勝ち抜いたチャンピオンもたくさんいる。

私自身、格闘技や武術を学んできただけに、彼らの見せる白熱した試合に手に汗にぎりもする。その一方、素朴にこう思う。

結局のところ何が最強なのか?

最強を問うと、「一対一で正々堂々と戦うべき」だとか「飛び道具は卑怯」「目突き、金的は危ないからダメ」といったことは言えなくなる。そもそも「ヨーイ、ドン!」で始まるような試合はありえない。あらゆる状況と時とを問わず、相手がどんな手を使おうとも「汚い」とは言えない。

そんな絶体絶命の状況を切り抜けてみせる術はあるのか? あるとすれば、それこそが最強の名にふさわしい。

ときおり想像はしても、試したことはなかった。表向きはまだ平和な社会でそういうことを追求するのは、漫画じみて思えたからだ。 

だが夢想ではなく、「いつどこでも誰とでも」を標榜し、実践している武術家がいる。光岡英稔という人物だ。

光岡英稔(みつおか ひでとし)
1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会(http://hsyq-j.blogspot.jp/)代表、および国際武学研究会(http://bugakutokyo.blogspot.jp/)代表。多くの武道・武術を学び11年間ハワイで武術指導。 2003年2月、意拳の創始者、王向斎の高弟であった韓星橋先師と、その四男である韓競辰老師に出会い、日本人として初の入室弟子となる。 現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。

19歳でハワイへ渡り道場を主宰、大東流合気柔術や空手等を指導してきた。道場の内に留まらず、ハワイアンやサモアンといった規格外の体躯をそなえ、ナチュラルに強い猛者たちと手を合わせてきた。あまり日本では接する機会のないフィリピンやインドネシアの武術の遣い手と渡り合ってきた。

また、銃社会ならではのシビアさも体験しつつ、ともかく「それはフェアではない」と非難する暇もない状況をくぐり抜ける術を研鑽してきた。

光岡の求める強さは、力づくで相手をねじ伏せることではない。また彼の述べる武術論は精神主義でもなければ、後先考えない蛮勇でもない。いざというとき単純な腕力や観念は無力であり、むしろ自分の可能性に目を向けないとやられてしまうからだという。

武術とは、相手を打ち倒す術はおろそかにはしないながらも、私たち自身がまだ知らない能力の可能性に目を向ける方便でもあるらしい。光岡が「最強」をひたすら目指す過程で発見した、私たちの体に備わる可能性について尋ねた。


page: 2

 カリフォルニアの山奥で

−−今回のインタビューでは「強さとはどういうことか?」についてお尋ねしたいと思います。

思想家で合気道家でもある内田樹さんは、光岡さんのことを「先生」と呼んでいます。古武術家の甲野善紀さんも、光岡さんのことを高く評価されていますね。あるいは、精神科医や宗教家からも一目置かれるなど、光岡さんが体現している「強さ」は、いわゆる競技化された現代武道をはみ出たものだと思います。

その強さとはいったい何なのか? その根底にある身体観はどのようなものか? なぜそのような考え方に至ったのか? まずは生い立ちから教えていただけますか。

1972年に岡山で生まれました。同世代なら共感してくれると思いますが、私が子供の頃にブルース・リーのカンフー映画が流行していました。その影響を受け、武術に憧れを抱くようになりました。

かといって、そこから武術にまっしぐらに進んだわけではありません。7歳のときに日本から義父の住むカリフォルニアへ移住したからです。

70年代の日本の経済成長は著しいものがありました。そこから経済大国のアメリカに移ったのだから、さぞ便利な暮らしをしたのだろうと思うかもしれません。しかし、その恩恵を被ることはありませんでした。私たち家族が住み始めたのは隣家まで歩いて2時間という山の頂きだったからです。

家も自分たちでつくる。当然、電気はなくて、明かりは石油ランプのみ。水道も引かれておらず、麓まで1キロ下りて泉で水を汲み、洗濯はそこで行う。そんな暮らしが始まったんです。

当初は混乱しました。これまでスイッチを押せば電気がつき、洗濯も自動的に行ってくれる暮らしから、すべて自分の体を使わない限り、何も始まらない生活になったのですから。

−−義理のお父さんは世代的にはヒッピームーブメントの体験者ですよね。その影響でしょうか。

そういうわけではなさそうです。ただ、自分の力でどれだけのことができるかを試したいようでした。

義父はベトナム戦争時代、海兵隊員に服務し、ウェザー・アブザーバーのウォッチ・リーダーを務めました。天候を確認しながら戦闘機や輸送機を出動できるルートを知らせる任務です。そのときはアメリカのために命を捧げる考えだったそうです。

ベトナム戦争後、政府の施策を疑問に思い、私が会った頃には反戦平和運動や反原発運動にも共感を示しており、そのような活動に関わるようになっていました。

−−ソローのような森の生活は、大人にとっては楽しいかもしれません。

日本での生活とのギャップに驚きはしましたが、きつかったわけではありません。そのうち山を駆け巡ったりすることに楽しさを覚えるようになりました。周囲には、マウンテンライオンや山猫、鹿、ウサギ、イノシシがいましたね。

唯一不満があったといえば、テレビがないことでした。仮面ライダーが見たかった(笑)。

学校では数ヵ月英語の基礎を習った後は、クラスに放り込まれました。まったく話せないし、コミュニケーションがとれない。そのせいでよく喧嘩していました。お互い言いたいことが伝わらないというジリジリした思いがあったのだと思います。


page: 3

日本に戻ってきて味わったカルチャーギャップ

−−カリフォルニアで何年暮らしたのですか?

4年ですね。小学校6年生の終わりくらいに再び日本へ戻りました。両親とも気まぐれで、母の「そろそろ日本に戻りたい」の一言で決まりました。

こうしてまた岡山での生活が始まったのですが、こんどはカルチャーギャップで父がホームシックになり、一時期は「帰りたい」としきりに言っていました。

−−光岡さん自身もカルチャーギャップを感じたのでは?

そうですね。ぜんぜんついていけなかったですね。

自転車に乗るときにヘルメットを被らないといけないとか、制服のホックは上まで留めなければいけないとか……。いちばん訳がわからなかったのは、先輩後輩の「上下関係」でした。アメリカではあり得なかった。だから「そんなこと関係ない。同じ人間なんだから」みたいなことを言っていたら、上級生の不良に絡まれました。

不良にとって先輩後輩の関係は大事みたいで、気に障ったんでしょう。最初は「偉そうにしやがって」と絡まれていたのですが、そのうち「ところでアメリカってどんなところなん?」「やっぱり金髪のお姉さんはすごいんか?」とか、そういう話になりました(笑)。

撮影:講談社写真部

根はシンプルな人たちなので、最終的には「おまえ、おもしろいな。悪いやつにからまれたら俺らに言えよ」と言って去っていきましたね。

−−その当時は、もう武術をしていたのですか?

中学生になってから家の近くにあった道場で空手を始めました。最初は学校の部活をしていなかったのですが、「どうも突いたり蹴るだけではダメだ。組み技や投げ技、関節技も知っておかなければ」と思うようになり、柔道部に入りました。

さらに高校では部活で空手を稽古するかたわら、岡山に伝わる古流の柔術「竹内流」や新陰流、大東流合気柔術、中国武術などを習い始めました。打ち方、投げ方、極め方、武具を持っての切り方、突き方、刺し方。強くなるためにはひとつひとつ学んでいかないといけない。そう思ってのことでした。

でも、いま考えると何に向かっていたのかわかりませんね。達人の領域への憧れはあっても、あまりにも実力と逸話がかけ離れすぎていました。とりあえずどんな状況でも対応できるような強さににじり寄っていくしかないと思っていました。

ただ、振り返って思うのは、あるルールの中で勝ち負けを競うといった、スポーツとしての武道で得られる強さを目指していたわけではなかったということです。


page: 4

ハワイで武術を教える

−−高校を卒業後にハワイへ行かれますが、どういった事情で?

また両親の気まぐれです。私は知人を頼ってオーストラリアに行く予定でしたが、都合が悪くなり、両親と一緒にハワイへ行くことになりました。その頃は、もうとにかくこれ以上日本にいたくないという気持ちでした。

推薦で大学へ行くこともできたけど、大学を出て就職するみたいなコースが当然とされている世の中についていけなかったんです。息苦しくて仕方ない。

ちょうど学んでいた大東流合気柔術の岡本正剛先生に「ハワイへ行かれるのなら、そちらで教えてみては」と言っていただけたこともあり、移住しました。

−−自宅と会社の往復を人生とみなす生き方は耐え難かったのですね。

そうですね。

もっとも、ハワイへ行ってみたら、それはそれで適応するのがたいへんでした。というのも日本とはあまりに真逆の社会で、脳みそが溶けてしまうんです(笑)。環境がいいから世の中のことはもうどうでもよくなる。

「このままここで一生何もしなくてもいい。フルーツもなっているし、毎週どこかでパーティしているから食べ物もあるし」とわりと本気で思えます。

「ハワイでは脳みそが溶けそうになる(笑)」〔photo〕gettyimages

−−染まりきれました?

最初は「なんだこれは?」と戸惑いましたね。やはり日本の暮らしで学んだ「きまじめさ」が身に沁みていたのです。

たとえばハワイアンは時間を守らない。しかもそれを当然のこととしている。そういう態度がまったく理解できませんでした。

時間通りに物事を行うという考えがない、というより、そもそも時計で測れるような時間という概念がない。だから、どうやって予定を合わせればいいのかもわからないんです。なんであれ「イッツオッケー」と言われるだけ。何がオッケーなの!?と。

完全にフィーリングだけなので、武術を教えるにも「何時から何時まで」と時間を決めることができませんでした。

−−稽古となると日本では、先生より先に生徒が道場にいて開始時間には整然と並んでいるというイメージがありますよね。

ハワイだとまず時間通りに生徒は来ません。そのうちやっと集まり出す感じです。あるいはそろそろ終わりかなという頃に来て、あとはだべって帰る人もいます。そういう感覚に慣れるのに3年くらいかかりました。

−−遅れたとしても来るからには、いちおうは学びたいんですよね。

いや、コミュニティに属したいのでしょう。技術的に習いたいという気持ちはほんの少しだと思います。


page: 5

教育したら、人はすぐに弱くなる

−−思想家の内田樹さんとの対談『荒天の武学』(集英社新書)で、何も学ばずとも「ナチュラルに」強いハワイアンのエピソードが紹介されていました。そういう強さは、彼らの時間感覚とも関係しているのでしょうか。

そうだと思います。時間を知らないからこその彼らの強さについて、多少なりとも考えが及んだのは最近のことです。

初めはどうして彼らがナチュラルに強いのかわかりませんでした。けれども、「どうしたら弱くなるか」は早い段階でわかりました。

−−どういうことでしょう? 指導しているのに弱くなるんですか?

教育したら人はすぐ弱くなります。「物事はこうでなければいけない」と教えたら、弱くなるのです。

学校をはじめほとんどの教育の内実は「こうでなければいけない」と刷り込んでいきます。もともとの才能を潰さずに教育するのは本当に難しい。

たとえば、私のもとで習っていた友人にジェームズという喧嘩屋がいました。彼は一時期、よそでボクシングを習い始めました。コーチは彼のパンチ力やヘビー級らしからぬスピードをみて「マイク・タイソンにも匹敵するスピードとパワーを秘めた逸材だ」と半ばスカウトして、彼をボクシングの世界に誘いました。

すると、それまで喧嘩では負け知らずのストリートファイターだったジェームズは、あっという間に弱くなっていったのです。

生の強さを活かせたらいいのに、下手にやり方やルールを教えてしまうとてきめんに弱くなる現象は、けっこう見られました。野性味あふれる強いファイターだと、周囲は「技術を学べばもっと強くなるだろう」と期待し、教育します。それがもともとの才能を潰すことになるのです。

これは個人だけでなく国家の規模で見ても同様で、だから異なる文化を持ち込むときには気をつけないといけない。異なる文化圏のルールやテクノロジーを持ち込むだけで簡単に固有のよさを潰してしまえます。

−−なんでもありのストリートファイターが、四角いリングの中での立ち回り方やセオリー学ぶことで、必然的に弱くなっていく。学ぶことで臨機応変に対応できなくなるということですか。

はい。だから強い人は練習しなくていい。もともと持っているものを生かせるようにすればいいだけです。彼らは大まかなルールをわかればいいだけで、練習するとしても慣らすくらいで十分なんです。


page: 6

環境によって磨かれる感性

−−日本だと職人的といいますか、厳しく求め、突き詰めていかなければ、強さは得られないという考えが一般的です。

ぜんぜん違いますね。そもそも「鍛錬」という発想がない。それには環境が影響しています。

ハワイの環境は野生に近いので、自然と人間もワイルドになります。しかも、このワイルドは、「めちゃくちゃ」といったシティワイルドではない。静けさも穏やかさも凶暴性も優しさもアロハの精神もある。

だからワイルドさが発揮された場合、一歩間違うと互いが無事ではいられないことにもなります。実際、歴史的には部族間での争いはけっこうありました。そういうところで養われてきた感性が彼らにはあります。

−−温暖だからといって、常にピースな感じではないのですね。

彼らから学ぶことはとても多かったです。さっき言った喧嘩屋のジェームズが、ギャニガンというまた別の喧嘩屋と夜のビーチでパーティをしてた最中にやりあうことがありました。格闘競技とかではなく俗に言う「拳と拳での殴りあい」でした。お互い疲れ果てるまで殴りあっていました。

数日後、私がジェームズとショッピングモールを歩いていたら、向こうにギャニガンがいた。すると、ジェームズが「あいつに挨拶してくる」と言うので「またやるのか?」と聞いたら、「あいつと話をしなきゃいけない」。

そのあとに“ I gotta squash it, squash the fight you no”と続けた。“squash” とは「潰す」という意味です。つまり、「喧嘩したから因縁を潰さないといけないんだ、わかるだろ」というのです。

離れて様子を見ていましたが、ふたりはしばらく話し、最後に手を組んでハグしていました。ジェームズが戻って来て言うには、「こないだ俺がぶっ叩いたせいで、あいつ、目が片方だけ見えなくなったみたいだ。まあ、お互い酔っていたし、わかってた上でやったからしょうがないよな」と。

−−それで因縁は?

消えたみたいですよ。

−−ハワイの「ホオポノポ」という関係性を整える方法が数年前に日本でも話題になりましたが、その実践版を見るようです。

彼らにはもともと島々の感性というものがあって、それは私たちの文化とはまったく違うと思い知らされました。

いい意味での「島文化根性」、長年に渡って島で磨かれて来た感性が彼らにはまだ残ってます。ここで「島国根性」と言わないのは、ハワイにはもともと国や国家といった概念がなかったので、「文化」の方がふさわしいかと思うからです。

あまり恨みつらみを持つと、互いにいつ仕返しされるかわからないような疑心暗鬼が募りますよね。でも、同じ島に住んでいるから離れられない。それだからこそ話をきちんとつけて、因縁を潰そうとする。

彼らの振る舞いを見ていて漢(おとこ)らしいなと感じました。そうしたコミュニケーションは部族的な知恵でもあり、そのような感性がハワイアンの根っこにあるのだと思います。


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